1945年8月15日「日本のいちばん長い日」

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「日本のいちばん長い日」

日本のいちばん長い日

「日本のいちばん長い日」は1965年刊行の半藤一利のノンフィクション書籍(当時は大宅壮一名義)。1967年に一度映画化され、昨年の2015年にも再度映画化されています。

1945年8月14日、御前会議におけるポツダム宣言の受諾決定から、翌15日に天皇によって敗戦を告げる放送(玉音放送)までの一日を描いた作品です。

歴史上の話なのでネタバレも何もないですが、映画・書籍のネタバレが嫌な人は読まない方が良いかもしれません。1945年8月14~15日のおおまかな出来事を知っておきたいという人は読んでおいて損はないと思います。

 

原爆とソ連参戦

日本は2発の原子爆弾を受け、さらには強国ソ連までもが日本に宣戦布告し、もはや敗戦は確実の情勢でした。

しかし、焼野原になってなお、日本陸軍はあくまでも本土決戦を主張し、ポツダム宣言を受諾することを拒みます。ポツダム宣言の受諾は「停戦」でも「休戦」でもなく、「降伏」を意味します。外国に隷属し、天皇の地位を脅かすことは、彼らは認めることができなかったのです。少しでも交渉を有利に進めるためにも、徹底抗戦を固持します。

対ソ交渉が決裂した責任をとって総辞職をするのか問われた首相鈴木貫太郎はこう答えています。

「総辞職をするつもりはありません。直面するこの重大問題を、私の内閣で解決する決心です。」

出典: 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

御前会議

1945年8月9日、ポツダム宣言受諾をめぐる御前会議が開かれます。宣言受諾に対する立場は三対三に分かれ、会議は長引き一向に結論が出ません。そこで鈴木首相は天皇に意見(ご聖断)を乞うのでした。一瞬、場内はざわめき、そして天皇は外務大臣に同意見(ポツダム宣言受諾)である旨を語った上で、こう続けました。以下長いですが、引用。

「空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は祖先からうけついだ日本という国を子孫に伝えることである。いまとなっては、ひとりでも多くの国民に生き残っていてもらって、その人たちに将来ふたたび起ちあがってもらうほか道はない。

もちろん、忠勇なる軍隊を武装解除し、また、昨日まで忠勤をはげんでくれたものを戦争犯罪人として処罰するのは、情において忍び難いものがある。しかし、今日は忍び難きを忍ばねばならぬときと思う。明治天皇の三国干渉の際のお心持をしのび奉り、私は外相案に賛成する。」

出典:決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

 

御前会議は8月14日にも再度行われ、天皇によるラジオ放送(玉音放送)が行われることが決まり、そしてその文言をめぐっても議論が紛糾します。

ラジオ放送収録とクーデター

ラジオ放送は生ではなく収録にすると決まり、天皇自らマイクを握り収録をしました。放送用のテープ(玉音盤)は情報局では危険だと判断し、徳川侍従が預かることになります。これが後々幸いします。

玉音盤を強奪し、放送を中止させようと一部の陸軍兵がクーデターを起こします。彼らは何としても、ポツダム宣言受諾を阻止したいのです。

8月15日の未明、暴発した陸軍の椎崎二郎中佐、畑中健二少佐らは近衛師団長の森中将を殺害し、これがクーデターの始まりでした。そして、陸軍兵に対しニセの師団命令が下されたのです。

ニセの命令によって情報局の録音関係者は拘束され、そして宮内省は陸軍によって封鎖されます。この時、もし情報局の人間が玉音盤を預かっていたら、彼らに強奪されていたでしょう。侍従職が玉音盤を預かったことが適当な判断だったのです。

阿南陸相自刃とクーデター収束

阿南陸相は、国体護持(天皇制を維持)を求めていましたが、ポツダム宣言受諾でその願いは叶いませんでした。そして、陸相として国体護持が実現できなかった責任をとり自刃します。

また、師団命令が偽りであることが伝えられ、クーデターは収束に向かいます。その後、椎崎二郎中佐、畑中健二少佐らも自決しています。

ラジオ放送

8月15日正午。ラジオ放送にて時報とともに「ただいまより重大なる放送があります。全国の聴取者のみなさまご起立願います」の一声が和田放送員より発せられます。

そして、天皇陛下より御言葉があることが告げられ、君が代のレコードが流れます。

 

君が代が終わると、天皇の声が流されます。

「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク…」

 

この時、多くの日本国民は涙を流しながらラジオ放送を聴いていたそうです。それは戦争が終わるという嬉し涙なのか、敗戦を目の当たりにした悔し涙なのか、それとも時代が一変するという感動の涙なのでしょうか。

 

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書籍版の「日本のいちばん長い日」では終戦の日が淡々と語られていますが、2015年の映画版では各々の感情の高まりが熱演されており、かなり熱の入った作品です。書籍と併せてぜひ一度ご覧になってください。どちらも名作だと思います。

1967年の作品はまだ観ておりませんが、この機会に観てみようと思います。

決定版 日本のいちばん長い日 (文春文庫)

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日本のいちばん長い日(旧作)

 

原作者の半藤一利氏はとあるインタビューでこう語っています。

戦争は始めるのは簡単だけど、終わりにするのは大変。この一言に尽きます。

引用元:【自作再訪】半藤一利さん「日本のいちばん長い日」 歴史の「ウソ」常識で判断(1/4ページ) – 産経ニュース

本当そうですよね。米国もベトナム戦争で泥沼化しましたしね。

ナショナリズムが高まる現在

英国ではEUを離脱、米国ではトランプ候補者に一定の支持が集まるなど、各国ではナショナリズムが高まっているのが現状です。国家間の関係、移民・難民との軋轢、テロリズム、グローバル化による歪み。第二次世界大戦の引き金となったドイツにも、ナショナリズムの高まりがありました。ナショナリズムというのは、時に民意を誤った方向に向かわせることがあることを、歴史が証明しています。

日本も例外ではなく、中国・朝鮮等の周辺国の脅威、そして米国との同盟関係もあり、米国と敵対する国によるテロなどの懸念もあります。

被爆国として

日本は被爆国であり、そして3.11の地震による原発事故もあり、原爆・放射能の恐ろしさを身をもって知っています。

悲劇を二度と繰り返してはいけません。あの時、昭和天皇がラジオ放送で語った時の想い、そしてその放送を聴いて涙し、ここまで日本を発展させた日本国民の想いを踏みにじるような行為があってはいけないのです。

 

1人の国民として、微力ながらも平和を願い、訴えていきたいと感じます。