臆病こそ智恵である・司馬遼太郎著『夏草の賦』

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土佐国の戦国大名・長曾我部元親

戦国時代、土佐国(現在の高知県)には長曾我部元親(ちょうそかべ・もとちか)という大名がいた。

司馬遼太郎作『夏草の賦』は、この長曾我部元親の物語である。あくまでも小説であり、司馬遼太郎の想像の世界ではあるものの、読むとなんだか気づきを得られたような気がした。

城を奪われ一度は流浪した長曾我部氏であったが、父・国親の代で勃興する。その父も元親がかぞえで二十二の時に亡くなっている。

若い頃の彼は、「姫若子」と呼ばれるほど女っぽい性格だった。

しかし、「姫若子」と呼ばれた元親は武将としての才覚を発揮し、隣国を次々に制圧していく。

今でも英雄として名高い元親だが、彼はどのような人間だったのだろうか。この『夏草の賦』に以下のような場面がある。

長曾我部家が父・国親の代から合戦を重ねている宿敵・本山氏。その本山氏と決着をつける合戦に子の千翁丸(のちの信親)を連れていくと妻・菜々に告げる。千翁丸はこの時、齢五つである。

以下、元親と菜々の会話

「当然、物におびえ、敵の声におびえ、銃声におびえるだろう。どの程度におびえるか、それをみたいのだ」

「みて?」

「左様、見る。見たうえで、ゆくすえこの児にどれほどの期待をかけてよいか、それを見たいという興味がある」

「怯えすぎれば、千翁丸の将来をみはなすというのでございますか」

引用元:夏草の賦 [新装版] 上 (文春文庫)

臆病者は立派な武将にはなれないのだと考えるのが当然である。菜々もそのように思い返答している。  しかし、それは違うと元親は考えている。

「いやいや」

かぶりを振り、元親は、菜々が思いもよらなかったことをいった。

ーー 臆病者なら信頼しうる

引用元:夏草の賦 [新装版] 上 (文春文庫)

臆病というのは、智恵がある証拠だと。智恵があるからこそ、恐れることを知る。豪胆な人間というのは、無智であると彼は語る。

臆病であるからこそ、合戦の準備を怠らず、権謀術数をめぐらせることができる。勝てる用意ができるまで、戦をしてはいけない。負ける戦はしない。

勇気というのは、無謀と紙一重である。どんなに勇気があり、行動力があっても計画がザルだと大成するのは難しいのではないだろうか。

臆病というとネガティブなイメージがあるが、裏を返せば用心深さや用意周到さに繋がる。あらゆる失敗の可能性を取り払うには、臆病というのは意外と有用なのかもしれない。

臆病だからといってその性格を否定するのではなく、それをうまく活かすこともできるのだろう。

なんてことを思いながら読んでいた。

私はどちらかというと無鉄砲なんだが。

長曾我部元親について知ると非常に面白い。

父・国親は半農半士の「一領具足」という制度を考案し、元親はそれを積極的にかつようした。これは、普段は農民をしている人も、戦があれば武器を携え合戦に参加するという制度である。

この制度はのちの郷士になり、倒幕の原動力になっている。

一度は四国の覇者となるが、豊臣秀吉に敗れ長曾我部氏は土佐一国に逆戻りしてしまう。それ以降の彼の生涯は悲惨であるが、それはこの小説を読んでいただきたい。

元親が亡くなり、後を継いだ長曾我部盛親もまた悲惨である。関ケ原から大阪夏の陣にかけてはことごとく敗軍側に味方し、結果、長曾我部家は滅亡する運命を辿る。

しかし、その長曾我部氏の遺志は約250年の時を経て、坂本龍馬や中岡慎太郎などの郷士の活躍によって倒幕につながっていくのであった。